2019.11.29特集バックナンバー
聖地巡礼
三島由紀夫が描いたバンコック
1967年にバンコクを訪れた三島は、長編小説の中でその街並みを独特な表現で描写しました。作中には、暁の寺(=ワット・アルン)のほか、ワット・ポーやワット・プラケオなど、私たちに馴染みのある場所も数多く登場します。ページをめくりながら、物語の舞台を歩いてみましょう。
『暁の寺―豊饒の海・第三巻―』三島由紀夫(新潮社/1970年)『豊饒の海』は全4巻から成り、輪廻転生を描いた長編小説。脱稿日に自殺し、遺作となった。門からまっすぐに本堂へ向う甃の道の左右には、エメラルドいろに光る芝生の央に、古代ジャワ様式の一対の東屋風の小閣があった。芝生には丸く刈り込まれた灌木が花咲き、小閣の軒には焔を踏まえた白い獅子が躍っていた。
本堂前面の印度大理石の白い円柱と、これを護る一対の大理石の獅子と、ヨーロッパ風の低い石欄とは、同じ大理石の壁面と共に、西日をまばゆく反射していた。しかし、それはただおびただしい金と朱の華文を引立たせるための、純白の画布にすぎなかった。ポインテッド・アーチ形の窓々は、内側の紅殻をのぞかせながら、その窓を包んで燃え上る煩瑣な金色の焔に囲まれていた。
ワット・ベンチャマボピット
大理石寺院とも呼ばれ、5バーツ硬貨の裏にデザインされている。
今日までほぼ三島が描写した通りの景色を見ることができる。裏手からの姿もまたフォトジェニックである。
玄関を護る一対の白い大獅子でさえ、その大理石の鬣 のさまは向日葵に他ならなかった。その種子のような歯は、大きくカッとひらいた口のなかにぎっしりと並び、獅子の顔は、すなわち、怒りを発した白皙の向日葵の花。
本多をのせて印度を発った五井船舶の南海丸は、〔中略〕メナム河口のパクナムをすぎてから、潮の干満を測りながらバンコックへ遡行した〔。中略〕
途中でタイ国海軍の駆逐艦とすれちがったほか、椰子とマングローブと蘆におおわれた河岸は寂として、人煙も稀であった。ようやく右岸にバンコックが、左岸にトンブリが近づくころ、トンブリ河岸に水椰子の葉で屋根を葺いた高床の家が見え、果樹園に働らく人の黒い肌が、かがやく葉かげに瞥見された。バナナ、パイナップル、マンゴスティンなどを栽培しているのである。
木のぼり魚が好んで攀る檳榔樹も、この果樹園の一隅に亭々たる木立を示していたが、本多はそれを見ると、その実を蒟醬の葉で包んだ嚙み煙草で、口中を真赤にした老女官の姿を思い出した。
クロントゥーイ港
スクンビット通りソイ26を抜けた向かいのロータス脇の道を行った先にある船着き場。
反対岸のバングラヂャオへ渡る舟の上から当時の景色を想像してみるのも面白い。